もうずっとスペシャルな日々

引き寄せの法則の「本質」に気づいた後の日々

「ありのまま」を見る~引き寄せるようになる前と、引き寄せるようになった今の一番の変化~

ご訪問いただきありがとうございます。

やんぴです。

 

前回の記事「あらためまして、ごあいさつ」に

たくさんのコメントや反応をいただきました。

 

前のブログ「不正プログラムからの脱却支援

での最新記事から

およそ半年ぶりの更新となっていたため、

正直、コメントや反応をいただけるとは思っていませんでした。

 

「○○さんがコメントしました」

「○○さんが読者になりました」

そんな通知が来て、訪問者数も想像以上で…

 

「本当に、私は幸せ者だなあ…」

なんて、ありがたさと幸せを感じていました。

本当にありがとうございます。

 

中には昔何度かコメントでやり取りさせていただいた

懐かしい名前があったりして嬉しくなりましたし、

そんな方々と、今回のブログでも繋がれることを

本当に嬉しく思います。

 

今後とも、あらためて、よろしくお願い致します。

 

さて、

 

今日の記事ですが、

せっかく「『私』を発信するブログ」を開設しましたので、

「私」のことをお話していきたいと思います。

 

とはいえ

「『私』の出身大学は~」「『私』の年齢は~」とか

「私」の「外面」のようなことを話しても

あまり意味はないように思っていて、

「外面」なんて如何様にでも変えてしまう

「内面」のお話をしていけたらなあ、と思います。

 

「私」の「内面」。

つまり「私」が今、この世界を

「どのように捉えて生きているか」

についてのお話です。

 

「気づく」前と今を比較しながら

見ていけたら、と思っています。

 

ちなみに

私が「気づいた」際の出来事を記事にしたのは

こちらの記事になりますので、

もし興味があれば、こちらもご覧ください。

今の「私」の、出発地点です。

不正プログラムからの脱却支援「ごあいさつ」

 

では、いきましょうか。

 

 

【目次】

 

 

前提の変化

「気づく」前と後では圧倒的に

「前提」が異なっています。

 

どのように異なっているかというと

「気づく」前:「頭で考えたこと」が前提

「気づいた」後:「ありのまま」が前提

 

というように異なっています。

 

不正プログラムからの脱却支援「ごあいさつ」

でも書いているように

「不足を疑う」「荷を下ろす」を続けるうちに

「不足」が全て「自分でやっていたこと」

つまり自分の「頭で考えたこと」だと気づいたんです。

 

「自分でやっていたこと」

「頭で考えたこと」を前提にすることをやめたことで

 

わざわざ自分で「不足」を作って、

そこから物事を捉えるのではなく

「ありのまま」から出発して、

そのまま物事を捉えるようになったことが、

一番大きな変化だと思います。

 

と、ここまで書いてみましたが、

なんだか「抽象的」ですよね。

「よくわからない!」ですよね?(笑)

 

なのでここからはもう少し具体的にお話ししますね。

具体的にどのような場面で捉え方が変わったのかを

いくつか例を挙げて説明していきます。

 

 

例1.コップの水

最初の例は

引き寄せの法則」でよく言われる

「コップの水」についての捉え方です。

 

 

【「気づく」前:「頭で考えたこと」が前提の頃】

 

まず頭で「コップの水」を思い浮かべる

 

頭で思い浮かべた「コップの水」と、

実際の「コップの水」を比較する

 

「コップに水がこれだけしか入っていない」

あるいは

「コップに水がこんなにも入っている」

という認識をする

 

【「気づいた」後:「ありのまま」が前提の今】

 

「コップに水が入っている」

状態を見て

「コップに水が入っている」

という認識をする

 

 

こんな感じです。

いかがでしょうか?

 

「気づく前」では

「頭で考えたこと」が前提にあるので、

「不足」が生まれる可能性がありました。

「コップに水が半分しかない」(不足)の状態も

あり得る捉え方です。

 

「気づいた後」では

「ありのまま」が前提になっているので、

「頭で考えたこと」と「比較」した結果である

「不足」は生まれる隙がありません。

どう転んでも「コップに水が入っている」(充足)の状態の捉え方です。

 

このように

「前提」が違うと

「不足」は消えてしまう、というか

生まれなくなってしまうんです。

 

この前提と感覚が

「当たり前」になってくると、

だんだんと「~がない(不足)」が

よくわからなくなってきます。

 

「言葉上の意味はわかるけど

わざわざそんなことやって楽しい?

まあ、私もやってたんですけどね(笑)」

みたいな感じに。

 

ちなみに

本当によく用いられる

「コップの水」の例ですが

 

よく「結果」だけに注目して

「コップに水が半分も入っている」と思おう!とか

「コップに水が半分も入っている」という

「プラス思考」が「引き寄せの法則」を加速させる!

とか言ってる人がいるんですけど

 

実際に気づいて

色々と引き寄せてしまっている

私の立場から言わせていただくと

 

そんなの、どっちでもいい(笑)

って感じです。

 

「頭で考えたこと」が前提である場合、

その結果が

「コップに水が半分も入っている」

であろうが

「コップに水が半分しか入っていない」

であろうが

 

どっちでも一緒です。

 

大事なことは

「頭で考えたこと」が前提なのか

「ありのまま」が前提なのか

という一点です。

 

例2.お金

※私の預金残高ではありませんよ(笑)

 

次の例は

引き寄せの法則」の

「目的」としてもよく挙げられる

「お金」です。

 

私も「お金」ですごく辛い思いをして

苦しんで、もう無理だ…

と思うところまで行きましたが、

今では臨時収入や年収UPに加えて、

色んなところから

「欲しいもの」が入ってくるようになり

すっかり「お金」の苦しみからは解放されました。

 

あ、

苦しみから解放されるのが先、

臨時収入や年収UP、

「欲しいもの」が入ってくるのは後、

でしたけどね♪

 

お金の捉え方の場合は、

こんな感じです。

 

 

【「気づく」前:「頭で考えたこと」が前提の頃】

 

まず頭で「あるべき預金残高」を思い浮かべる

 

頭で思い浮かべた

「あるべき預金残高」と、

実際の「預金残高」を比較する

 

「お金がない」

あるいは

「お金がある」

という認識をする

 

【「気づいた」後:「ありのまま」が前提の今】

 

「預金残高」の内容を見て

「預金残高分の『お金がある』」

という認識をする

 

 

いかがでしょうか?

こちらも「コップの水」の例と同じです。

 

「気づく前」では

「頭で考えたこと」が前提にあるので、

「不足」が生まれる可能性がありました。

「お金がない」(不足)の状態もあり得る捉え方です。

 

「気づいた後」では

「ありのまま」が前提になっているので、

「頭で考えたこと」と「比較」した結果である

「不足」は生まれる隙がありません。

どう転んでも「お金がある」(充足)の状態の捉え方です。

 

 

例3.欲しいもの

次の例は「欲しいもの」です。

これはこれまでの例とは違って

ちょっと難しいですよ~

 

なんてったって

「欲しい」=「今持っていない」って

自分で言ってしまってるんですから。

 

例えなので、欲しいものは適当に。

 

そうですねえ…

欲しいものは「シャンデリア」だとしましょう。

豪華ですし、なんかいい感じじゃないですか?

「掃除が大変」なんてことは一旦置いておいて、

「シャンデリア」が欲しいとします。

 

 

【「気づく」前:「頭で考えたこと」が前提の頃】

 

部屋の電気を思い浮かべる

もしくは実際に部屋の電気を見る

 

「シャンデリア」を思い浮かべる

 

①と②を比較する

 

「シャンデリアがない」と認識する

 

【「気づいた」後:「ありのまま」が前提の今】

 

Googleで「シャンデリア」を調べる

もしくは実際に「シャンデリア」を見に行く

 

「シャンデリアがある」と認識する

 

 

いかがでしょうか?

こちらは「コップの水」「お金」の例とは

少しだけ毛色が違いますが、本質的には同じです。

 

「気づく前」では

「頭で考えたこと」が前提にあるので、

「不足」が生まれる可能性がありました。

「シャンデリアがない」(不足)の状態もあり得る捉え方です。

 

「気づいた後」では

「ありのまま」が前提になっているので、

「頭で考えたこと」と「比較」した結果である

「不足」は生まれる隙がありません。

どう転んでも「シャンデリアがある」(充足)の状態の捉え方です。

 

この例は個人的には特に

「引き寄せ難民」と呼ばれる方々の

「原因」をあぶりだすのに有効だと個人的には思っていて

 

「は?」

「そりゃあググったり店に行けばあるんだろうけどさ!」

「この部屋には、ないんだよ!」

 

という風に思った人は

「無意識に」頭で自分の部屋の電気と

「シャンデリア」を「比較」し、

その「頭で考えたこと」を前提に認識されている方です。

 

そういう方は一回、

この例の「シャンデリア」を、

実際に自分の欲しいものに置き換えてみてください。

 

「まあ、頭で考えていることを抜きにすれば、シャンデリア(自分の欲しいもの)はある…か…。」

 

と思えたら、手に入れるのは割とすぐそこです。

その調子で「頭で考え」「比較」した結果ではなく

「ありのまま」を捉え続けてみてください。

 

以下は経験則ですが、

 

次第になぜか、

「欲しいもの」の情報がよく入ってくるようになり、

 

次第になぜか、

「欲しいもの」を街でよく見かけるようになり、

 

次第になぜか、

「欲しいもの」が手に届く範囲に入ってくるようになり、

 

次第になぜか、

「欲しいもの」が手に入っています(笑)

 

よかったら一度、試してみてください♪

 

 

ありのままで「不足」はあり得ない

ここまで「前提」の変化について書いてみました。

「頭で考えたこと」が前提の場合、

「比較」することで「不足」が生じるんです。

 

一方「ありのまま」が前提の場合、

必ず「充足」しか生じず「不足」はあり得ないんです。

 

と、文字だけで一方的に言われても

まだあまりしっくりきていない方もいるかもしれないので、

一回、試してみてほしいんです。

 

「『不足』を写真1枚だけで撮ってください」

 

いいですか?「写真1枚だけで」です。

 

これ、絶対に撮れないんです。

 

 

預金残高が1,000円の1枚の写真。

「1,000円ある」状態なんです。

 

ところがこの1枚に加えて

翌日が支払期限の請求書(10,000円)の1枚の写真

が追加されると、

1枚目は「不足」として捉えることができてしまうんです。

 

「1,000円 < 請求額(10,000円)」

と頭の中で比較した結果です。

 

それぞれの写真は「不足」を写していません。

※請求額も、請求額があるだけ。それ単体では「不足」とはならない

 

 

コップに水が1センチ入っている1枚の写真。

「コップに水が1センチ入っている」状態なんです。

 

ところがこの1枚に加えて

コップに水がなみなみと入っているの1枚の写真

が追加されると、

1枚目は「不足」として捉えることができてしまうんです。

 

頭の中で

「1センチの水 < なみなみの水」

と頭の中で比較した結果です。

 

 

「頭で考え」「比較」しない限り、

絶対に「不足」は生まれません。

 

このことに気づき、腑に落ち、

「あれ…私は何をやっていたんだろう」

となった一連の流れが

不正プログラムからの脱却支援「ごあいさつ」

で書いた出来事となります。

 

 

まとめ

今回は私自身の「前提」の変化と

それに伴う「捉え方」の変化について

お話ししましたが、

 

「腑に落ちて」

「あれ…私は何をやっていたんだろう」

ってところは、ある日急に来るもの

(それまでは「頭ではわかっているけど」な状態)なので

 

「へえ~、そんな感じで捉えているんだなあ」

ぐらいに思っておいていただいて

「思考」や「比較」でいっぱいのところに

ちょっとした風穴をあけるようなものでもいいかな、と思います。

 

まとめると

「気づく」前と後では

「前提」に大きな違いがあり

 

「気づく前」は「頭で考えたこと」が前提、

「気づいた後」は「ありのまま」が前提、

となりました。

 

それに伴い「捉え方」にも大きな違いがあり

「気づく前」は「頭で考えたこと」を前提に

「比較」を行った結果を認識する捉え方

(「不足」が生じる可能性がある捉え方)、

「気づいた後」は「ありのまま」認識する捉え方

(「不足」が生じる可能性がない捉え方)、

となりました。

 

「気づいた」際の詳細は

不正プログラムからの脱却支援「ごあいさつ」に記載しています。

 

私自身、この「気づき」以降

本当に大きく人生が変わりました。

大げさではなく、当時からは「考えられないほどに」です。

 

私自身の一番大きな変化だったので

「私」を発信するブログの最初の題材として

今回選び、書いてみました。

 

参考になれば幸いです。

 

とても長文になりましたが、

読んでいただきありがとうございました。

 

「ありのまま」を見てみてください。

 

では♪